ゴミと無責任世相






私はゴミ焼きが好きだ.自分が関与したものは自分の手で処分しなければ気が済 まない.粗大ゴミのとして外見そのままで多くの物品が捨てられているが、私なら解体し、利用できる部分をはずし、燃やせるところは燃やし、どうにもならない部分だけゴミに出す.木製品は一切出さない.本や書類などはこまかく切り裂 き、火にくべる.燃え尽きるまで見届けると責任を果たしたようでいい気分になる.愛用したものであればあるほど満足度は大きい. 休日は早朝または日没頃からゴミ焼きをするのが子供の頃からの楽しみであった.毎年2-3個の焼却炉を購入するが、家庭用のは丈夫でないのに加えて、ゴムであろうとプラスチックであろうと何でも燃やすために我が家では寿命は短い. 生ゴミの多くは庭に細長く穴を掘って端から順よく埋める.コンポストも便利である. 最近は自宅の周辺にも住宅が増えてきて、隣近所から苦情が出そうな雰囲気になって来た.さらに、家庭用のゴミ焼却炉からもダイオキシンが濃厚に発生すると 言われて来たのでもはや自分の趣味などと悠長なことを言っていられない.徐々にゴミ収集にたよる量が増えて来た.何でこんなにゴミがでるのか今更ながらあきれる.便利だがいとも簡単に処分できるのが面白くない. 昔は、特に田舎ではどこの家も,自分の家からゴミを外に出さないことを念頭に暮らしていたし、エネルギー源でもあったが、今はそんな生活は望むべくもなくなった.

閑話休題。人は年間大便を約100Kg,尿を約500L排泄する.これすらも畑に穴を掘って埋めていた頃が懐かしい.その作業は数カ月ごとに家族総出でやったもの だが、決して快適とは言えない作業だけに、トイレにたまってくるとお茶さえ控える気になったものである.今はレバー1つで簡単に目の前から消えていく.あまりにもあっけない.これが目の前から消えた後どう処理されているのか、興味 を持っている人たちはどれだけいるのだろうか.70歳まで生きると大便は約7 t、小便は約35KLと、とてつもない数値になることすら意外と気づかれていない. 阪神大震災の被災者にとって排泄物の処理は食糧確保以上に大変であったと 言うがもっともなことである.電気を使うときには原発の近くの住民の気持ちを、安全を考えるときには基地周 辺の住民や沖縄県民に思いを馳せよ、と子供たちに言い続けてきたが、あまりにも簡単にものが手に入り、ゴミも簡単に処理されるこの便利さが、無責任世相形成と濃厚に関連していると思われてならない.

きれいなままゴミ箱に捨てられている医報を時々見ることがある.読まれること なくゴミとして処分されている医報の数は一体どれだけあるのだろうか.
県医師会がゴミを出版している、と言われないようにしたいものである.





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