中通病院関係


友の会講演・講話裏話

                   中通総合病院入院総合診療部長  福田光之

 友の会創立三十周年、おめでとうございます。
 私は四十歳になる前には大学を辞す予定でしたので前年の夏に院長室を訪れ、働かせて欲しい旨申し込みました。中通病院はかなり忙しそうだけれど自分のイメージに近い医療をやっているらしい・・・と感じていたからです。この様に個人的に交渉して入社する医師は当院では例外的な様です。

 赴任して十年になりますが、この間、驚いたこと、感心したこと、呆れたことなどいろいろあります。これらの一部は中通病院医報や大曲中通病院医局報に書かせていただきました。港北診療所、下浜診療所、大曲中通病院での診療の他、院内外の雑用も多く時間的にも余裕のない毎日ですが、今の所、中通病院の一員としての医療を楽しんでいます。
 
 感心したことも多々ありますが、その一つが友の会です。これまで何ヶ所かの病院勤務の経験がありましたが、この様な患者さん方の組織は初めてです。
 実は、私にとって「友の会」は子供の頃から身近でした。郷里のデパートが顧客獲得のために募集していた「○○デパート友の会」に家が加入していたからです。これは会員の組織で、入会金と年会費を納めると月に2回ほどの例会日にかなり有利に買い物が出来るというもので、例会日には田舎から祖母達と長時間バスに揺られて街に出かけたものです。当時は社会全体が未だ豊かでなく、デパートでの買い物も賛沢だったのですが、県内で老舗のデパートの友の会会員であることにも、若干の特権意識をくすぐるという効果があったようです。古い話で今はどうなっているか解りませんが、友の会・・・と言うと今でもこのデパートを連想し、買い物をめぐっての家族の会話や団欒の情景を懐かしく思い出します。

 中通病院友の会は昭和四十二年に中通病院が苦況に陥った際に、経済的に大きく病院を支えたとされています。私は講話の前などに友の会の各支部会、総会、役員会、三友の会合同交流集会等での話し合いを何度か傍聴しましたが、役員の方々のみならず会員方の病院を支えていこう、良くしていこうと言う熱意にはいつも驚かされました。かつては友の会検診というのがあったように記憶していますが、いまはそれもなく会員だからといって診察上で何ら特権があるわけでもなく、友の会からも特別扱いを求めないなど・・・、実にユニークな組織だと思います。何故、友の会の方々にはこれほど迄に熱心に病院を支えようとしているのか不思議でしたが、その理由として開設当時から一貫して求め続けてきた中通病院の患者本位の医療が言葉だけでなく、実践の積み重ねとして患者さん方の共感を得て来たと言うことに尽きると思います。これに関しては先人の方々の努力に頭が下がります。
 
 もう一つ、私は前述のデパートに今でもすごく親近感を抱いていますが、家が会員であったからだと思います。おそらく、友の会の方々も病院や診療所に親近感を抱いているのだろうと思います。この時勢に、いわゆるかかりつけ医ならぬ、自分たちの病院、自分たちの健康を守ってくれる身近な病院という安心感を共有できていることは友の会の皆さん方にとって、とても幸せなことだと思います。
 ただ、私がいささか不自然に感じているのはこの熱意が友の会側からの一方的なものの様な印象を受けることで、病院側はもっと友の会と密接な対話をすべきではないかと思っています。

 私が実際に友の会に関与しているのは講演や講話の分野です。赴任三年目頃から医局への講演依頼の窓口になってから友の会と接することが多くなりました。講演依頼でも胃ガン、大腸ガン、心臓の話、骨組懸症・・・など、診療の専門領域と密接に関連している場合には比較的簡単に講師が見つかります。しかし、「健やかな老後を迎えるには」、「成人病の予防」、「動脈硬化の予防」、「これからの医師はどうなる?」といったような領域を特定しない演題の時とか、遠方であるとか、夜間や休日とかの場合は引き受け手がまずおらず、結局私が引き受けることになって徐々に回数が増えていったというのが実情です。
 三つの友の会の各総会、合同交流会などの他、北は大館鷹業地区、南は仁賀保あたりの支部会にまで招待して頂きました。友の会で講演を何度やったのか、何を話したのかは今はほとんど覚えていませんが、私は講演や講話に関して(1)名指しで依頼があった場合には断らない、(2)十分準備をする、(3)同じ演題名や話題であっても二度と同じ内容にしない、(4)あまり学問的にしない・・・様心がけています。

 私の話は難しくないので比較的喜んで頂いたようですが、大勢の前で話すのが得意と言えない私にとって結構大変で、日にちが近づくと苛立ち、直前まで引き受けたことを後悔しています。
 講演の準備を通じていろいろな分野に関心を持つようになり、そのことが診療室でも何かと役に立っています。講演ではいつも熱心に聴いて頂き、むしろ私の方が助けられ、力づけられ、楽しませて頂いたと思っています。例に挙げるのに若干心苦しいのですが、看護学校での講義の場合、いろいろ興味を引くよう工夫しても三分の一近くの学生に寝られたこともあります。話す側と聴く側との間に共感が乏しければ講演も台無しになります。その意味では友の会の皆さんにはいつも感謝申し上げたいと思っておりました。この場を借りてお礼申し上げます。
 
 今後は私が話す機会を出来るだけ減らし、講師を広く医局の先生方にお願いしようと考えています。医局には皆様方に是非職いて欲しい話題を豊かに持っている先生や是非知ってほしいパーソナリティーを持った先生もおられます。
 今後の友の会の発展と皆様方の健康を願っております。

       (中通病院友の会 創立30周年記念誌 平成7年12月1日発行に掲載)


 


 




 友の会創立三十周年、おめでとうございます。
 私は四十歳になる前には大学を辞す予定でしたので前年の夏に院長室を訪れ、働かせて欲しい旨申し込みました。中通病院はかなり忙しそうだけれど自分のイメージに近い医療をやっているらしい・・・と感じていたからです。この様に個人的に交渉して入社する医師は当院では例外的な様です。

 赴任して十年になりますが、この間、驚いたこと、感心したこと、呆れたことなどいろいろあります。これらの一部は中通病院医報や大曲中通病院医局報に書かせていただきました。港北診療所、下浜診療所、大曲中通病院での診療の他、院内外の雑用も多く時間的にも余裕のない毎日ですが、今の所、中通病院の一員としての医療を楽しんでいます。
 
 感心したことも多々ありますが、その一つが友の会です。これまで何ヶ所かの病院勤務の経験がありましたが、この様な患者さん方の組織は初めてです。
 実は、私にとって「友の会」は子供の頃から身近でした。郷里のデパートが顧客獲得のために募集していた「○○デパート友の会」に家が加入していたからです。これは会員の組織で、入会金と年会費を納めると月に2回ほどの例会日にかなり有利に買い物が出来るというもので、例会日には田舎から祖母達と長時間バスに揺られて街に出かけたものです。当時は社会全体が未だ豊かでなく、デパートでの買い物も賛沢だったのですが、県内で老舗のデパートの友の会会員であることにも、若干の特権意識をくすぐるという効果があったようです。古い話で今はどうなっているか解りませんが、友の会・・・と言うと今でもこのデパートを連想し、買い物をめぐっての家族の会話や団欒の情景を懐かしく思い出します。

 中通病院友の会は昭和四十二年に中通病院が苦況に陥った際に、経済的に大きく病院を支えたとされています。私は講話の前などに友の会の各支部会、総会、役員会、三友の会合同交流集会等での話し合いを何度か傍聴しましたが、役員の方々のみならず会員方の病院を支えていこう、良くしていこうと言う熱意にはいつも驚かされました。かつては友の会検診というのがあったように記憶していますが、いまはそれもなく会員だからといって診察上で何ら特権があるわけでもなく、友の会からも特別扱いを求めないなど・・・、実にユニークな組織だと思います。何故、友の会の方々にはこれほど迄に熱心に病院を支えようとしているのか不思議でしたが、その理由として開設当時から一貫して求め続けてきた中通病院の患者本位の医療が言葉だけでなく、実践の積み重ねとして患者さん方の共感を得て来たと言うことに尽きると思います。これに関しては先人の方々の努力に頭が下がります。
 
 もう一つ、私は前述のデパートに今でもすごく親近感を抱いていますが、家が会員であったからだと思います。おそらく、友の会の方々も病院や診療所に親近感を抱いているのだろうと思います。この時勢に、いわゆるかかりつけ医ならぬ、自分たちの病院、自分たちの健康を守ってくれる身近な病院という安心感を共有できていることは友の会の皆さん方にとって、とても幸せなことだと思います。
 ただ、私がいささか不自然に感じているのはこの熱意が友の会側からの一方的なものの様な印象を受けることで、病院側はもっと友の会と密接な対話をすべきではないかと思っています。

 私が実際に友の会に関与しているのは講演や講話の分野です。赴任三年目頃から医局への講演依頼の窓口になってから友の会と接することが多くなりました。講演依頼でも胃ガン、大腸ガン、心臓の話、骨組懸症・・・など、診療の専門領域と密接に関連している場合には比較的簡単に講師が見つかります。しかし、「健やかな老後を迎えるには」、「成人病の予防」、「動脈硬化の予防」、「これからの医師はどうなる?」といったような領域を特定しない演題の時とか、遠方であるとか、夜間や休日とかの場合は引き受け手がまずおらず、結局私が引き受けることになって徐々に回数が増えていったというのが実情です。
 三つの友の会の各総会、合同交流会などの他、北は大館鷹業地区、南は仁賀保あたりの支部会にまで招待して頂きました。友の会で講演を何度やったのか、何を話したのかは今はほとんど覚えていませんが、私は講演や講話に関して(1)名指しで依頼があった場合には断らない、(2)十分準備をする、(3)同じ演題名や話題であっても二度と同じ内容にしない、(4)あまり学問的にしない・・・様心がけています。

 私の話は難しくないので比較的喜んで頂いたようですが、大勢の前で話すのが得意と言えない私にとって結構大変で、日にちが近づくと苛立ち、直前まで引き受けたことを後悔しています。
 講演の準備を通じていろいろな分野に関心を持つようになり、そのことが診療室でも何かと役に立っています。講演ではいつも熱心に聴いて頂き、むしろ私の方が助けられ、力づけられ、楽しませて頂いたと思っています。例に挙げるのに若干心苦しいのですが、看護学校での講義の場合、いろいろ興味を引くよう工夫しても三分の一近くの学生に寝られたこともあります。話す側と聴く側との間に共感が乏しければ講演も台無しになります。その意味では友の会の皆さんにはいつも感謝申し上げたいと思っておりました。この場を借りてお礼申し上げます。
 
 今後は私が話す機会を出来るだけ減らし、講師を広く医局の先生方にお願いしようと考えています。医局には皆様方に是非職いて欲しい話題を豊かに持っている先生や是非知ってほしいパーソナリティーを持った先生もおられます。
 今後の友の会の発展と皆様方の健康を願っております。

       (中通病院友の会 創立30周年記念誌 平成7年12月1日発行に掲載)


 

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