秋田民医連学術秋談会パネルディスカッション

日医「診療情報提供(カルテ開示)」の諸問題  

抄録
情報開示の気運が高まり、カルテ開示が法制化が叫ばれてきた.日医は法制化を回避するため、開示が「よりよい医療を求める」目的である場合に、1/1から開示を開始した.希望者に対する情報提供の意義は疑問無く、可能な限り開示すべきである.しかし、日医の開示指針には種々の問題点がある.
 ・開示が拙速過ぎ、譲歩し過ぎている.日医は開示を前提に、その他の分野の情報開示と整合性を主張すべきだった.
 ・患者と医療機関の間には診療契約が結ばれる.その説明義務にはカルテ開示は含まれないが、あえてコピーを含む開示まで踏み込んだ。 
 ・カルテの法的所属は未だ不明.法的には「診療録は第一義的には記載者たる医師等のメモとしての文書」という備忘録説は生きている.
 ・最も重要な「開示するカルテの記載法」の検討が後手に回った.
 ・カルテのうち主観的評価・判断部分は医師や看護婦の個人情報でもある.開示に際し保護されるべきで、不用意に利用されない権利がある。この点への配慮を欠く.開示対象は客観的部分に限定されるべきである.
 ・「よりよい医療を求める」目的である場合に限る開示であるが、その判断は可能だろうか.
 ・開示請求は原則15歳以上の本人であるが、法定代理人、代理権を与えられた親族・準ずる縁故者と対象者が広く判断は困難。医師法の秘匿義務違反を問われる危険性が大きい.
 カルテの開示が始まったと言えど、医師と患者の関係が突然変わるわけではない.しかし、診察の時の患者と医師の対話は一層豊かになり、患者の満足度は増すだろう.それが日医の診療情報提供の目的である.コピーによるカルテの開示請求は実際にはそれほどないだろう。種々問題点はあるが、日医の自主的な診療情報開示がわが国の情報提供のあり方に一石を投じることを期待している。

 
日医「診療情報提供(カルテ開示)」の諸問題
 私に与えられたテーマは、医療情報提供やカルテ開示にいたるプロセス、日本医師会のカルテ開示について、諸外国の現状についての解説です。時間が12分と短いので、可能な限り単純化して話します。

1 カルテ開示の背景
 
最近、なぜ情報開示が叫ばれて来たかというと、患者の権利意識の高揚云々もありますが、今の医療内容が患者に見え難くなったことが一因です。医療内容が高度化し、専門分化が進み、検査や機材がハイテク化し、更に、医師が患者の体に触わる事も少なくなり、かつ説明も乏しくなった、といったことも背景にあります。また、自分自身に関する情報が欲しいと言うニーズの高まりもあります。医療機関のサービス向上の一環として、かなり前から一部の診療所ではカルテ開示を積極的に行ってきたところもあります.そういう先進的な努力の影響もあると考えられます。
2 カルテ開示のアンケートから
 2.470人の回答が得られた健康保険組合連合会がとったアンケート調査の結果を示します(日経メディカル1999/12月号より引用)。
 「カルテを見たいか」、という設問では「入院カルテを見たいと思う」が60%、「外来カルテを見たいと思う」が56%の人が答えています。私は外来カルテを何でこれほど見たがるのか、と言う点について正直なところ驚きました。結局、入院診療も外来診療も情報公開という意味では医師と患者の間でまだホットなコミュニケーションがなされてない、事の現れを考えざるを得ません。
 「カルテを見たい理由は何か」と問うと、どんなアンケートでも大体50%ぐらいは「医者がよく説明してくれないから」ということになっています。後で中通総合病院でとったアンケ一ト調査が報告されるとのことですが、それでは若干違った結果が示されているようで興味が持たれます.次に、「医師に伝えたことが医療に反映されているのかどうかを知りたい」とか「医師の診断や説明がくるくる変わるので、きちんとカルテを見たい」、云々と続きます.やはり説明不足ということが示されています。
 それから、「医療情報の伝達の困難さ」というのもあります。例えば、今の高齢化の中で、「患者の40%は10分ないし80分後には医師から受けた説明内容を思い出せない」という調査結果もあります。それから「60%の患者が医師の説明を誤って理解していた」という結果もあります。
 また、医師と患者の情報提供への温度差というのもあります。患者が医師に何を求めるかは、第1に「医師の能力」、第2に「情報提供」、第3「・・・・」ですが、医師側は「医師の能力」が第1であることは変わりませんが、第2、第3、第4と別の項目が挙げられており、「情報提供」はやっと第6番目ぐらいに登場しています。医師側の情報公開に関する項目は、この度日医が無理矢理とカルテ開示をやってしまったということで、今後はランクが上がってくるのではないかと期待されます。

3 診療情報の提供の歴史
 診療情報の提供を巡る動きの歴史についてですが、時間の関係で古いことはばっさり略し最近の話のみ取り上げます.
 1997年の医療法改正では「レセプト開示」が実施されました。医師側は「レセプトが開示されると患者に病名が知られるので困る」ということで反対意見が優位だったんですけれども、実際には何も案ずる様な事態は生じていません。
 1998年に厚生省は「カルテの診療情報の活用に関する検討会」を作りました。ここの結論は「カルテ開示を法制化すべきである」でした。同年、日本医師会も似た様な検討会を作りました。その答申書を見ますと、厚生省の諮問案の内容と医師会の答申案の内容の90%近くは表現こそ違いますが内容的には殆ど同じなのです。両者ともいろいろな理由を挙げて「カルテは開示すべきだ」という結果です.ただ最後の結論のみが異なって正反対なのです.厚生省の委員会は「だから、カルテ開示は法制化をすべきである」、日本医師会の委員会は「だから法制化は不要である」が結論です。自然科学の中では、これほど内容が同じでありながら結論だけが異なるというのはあり得ないことですが、情報開示とかの分野は立場の違いによってなかなかコンセンサスを得がたい世界であるようです。そういう意味では、日本医師会が「自主的情報開示のガイドライン」を、半ばごり押しといえる状況で本年一月から実行に移したことを私は高く評価しています.

4 日本医師会の情報提供
 
日本医師会の情報提供は、カルテ開示は情報提供の一手段でしかなく、基本は診療情報は診療を通じて出来るだけ患者に提供すべきであるという理念です。その上でなおかつカルテ開示の請求があった場合には、「口頭による説明」、「カルテ閲覧」、「コピー」それから「要約書交付」での提供します。
 カルテ開示を求めることができるのは原則として本人です.この場合は別に困ることはありませんが、代理人による請求の場合には種々の問題があります。いろんな代理人が来得るのですが、ここで決定的に重要なのは、「本人が同意して代理人をよこしたか」という確認です.判断能力ある本人で、何らかの事情で来れない場合には、例えば電話で「あなたは本当に開示を希望しているのか」と、そして「今来た人に開示していいのか」ということをきちんと確認しなければなりません。医師は患者情報を他人に漏らしてはならないという厳しいしばりを受けているからです。患者が意思を表明できない状態のときに、果たして6親等に相当する人が開示請求に来た時に、私はこの患者のこれこれにあたる者です・・とかをどうやって証明するのかと言った難しい問題も生じます。
 開示を拒否出来る場合についてですが、日本医師会の開示はあくまでも「今の診療をより豊かにするため」というのが開示の目的ですから、第1に死亡患者の場合は拒否できます。第2に、訴訟を目的とするような場合に拒否できます。第3に第三者の利益を害する場合です.例えば紹介状とかは前医に開示していいか否かを確認する必要があります。第4に患者本人の心身に著しい悪影響が及ぶ場合、があります。精神科領域と、例えばガンの場合なのですが、この分野はいろいろ問題があります。今日恐らくディスカッションになるものと思います。その他に、カルテの内容から見ても開示が不適当だといったような場合もあり得ます

5 日本医師会のカルテの開示指針の問題点
 
日本医師会のカルテの開示指針の問題点を挙げます.第1に開示の決定が早過ぎたということで、警察や教育界などの他の分野の情報開示に歩調を合わせる努力をすべきだったと思います。第2は世論を意識、法制化を防ぐために譲歩し過ぎたということ、第3に、カルテの記載法の指導とか重要な点が未整備のまま開示した、ということです。
 カルテは患者の情報であると共に、記載した医師や看護婦の個人情報でもありますので、自筆のカルテをコピーで開示する事について私は必ずしも納得できていません。また、「よりよい医療を求めるために」と言う目的の開示請求で有るか否かの判断はどうすればいいのでしょうか。それから代理人の問題も、判断は極めて困難と思います。開示した後に、大衆に配布されたり、マスコミに流れたり、ある種の業者に流れることもあるでしょうし、逆訴訟される可能性もあり得ます。
 今はインターネットが日常で用いられる時代になっております.和歌山県立医大で死亡した小児のカルテが盗まれまして、それがインターネットにそのまま出たことがあります。主治医名、主治医の直筆記載カルテ、主治医と家族のミーティングの時に録音された音声もそのまま流されました。これは盗まれたカルテで、今回の開示と同じではありませんが、開示されたカルテを患者がどのように使うかによって、我々が厳しい立場に陥る可能性は否定できません。
 同様に、学校における「息子の虐待日誌」というのをインターネットにのせたお母さんがおります。約40万人ぐらいの人がアクセスし、いろんな意見を述べたとされます。この場合も担任の教師の名前や写真、教師も息子を足蹴にしたんだとか、いじめの内容の具体例が実名入りで全部掲載されていました。関係者のプライバシーは全く守られていないのです.最近、「クレイマー」という新語が出てきました。クレイマーというのは「文句をつける人」なんですが、東芝のビデオを買ったあるユーザーが、そのビデオの修理に対する対応が悪いということで、やはりインターネットを通じてその内容を公開しました.この場合は50万人ぐらいのアクセスを得て、東芝がついにその個人に謝ったといったような事件があります。それから、トヨタ自動車に対する事件もあります。この様に、インターネットの威力を背景に個人が大企業とか、今までは手の届かなかった相手にクレームを付けることが出来るようになりました.また、その効果には絶大なものがあります. コピーによって開示されたカルテはこのような利用をされる可能性が残っています。そういったものに全く対応法を考えないまま開示してしまったというのも日医の開示の問題点の一つです。
 私自身は、カルテ内の情報は誰のものかといった場合に、患者のものであるのと同時に書いた人間の情報でもあるという立場で、開示に際しては患者側に責任ある扱いを求めるべきと、日医にも提言しましたが取り上げられませんでした。
 日本医師会のカルテ開示は、実際にはカルテをコピーして渡すということが目的ではありません。今まで患者が不満に思っていたと思われるようないろんな説明その他をカルテの開示を機会に、何でも受け付けますというふうに、患者に情報提供する閾値を下げ、対話を豊かにすることが第一の目的です。ですから、県医師会でポスターを用意しましたが、その中ではカルテ開示について直接的には言及していません。

6 パターナリズム・インフォームド・コンセント
 
最後に、医療の考え方について触れます.やはり今までは医療提供側がいわゆる「父親的優しさ」と言いますか、パターナリズムというものを背景に医療をやって来たと言わざるを得ませんが、これからの医療は患者と医療提供側は、対等に近い立場で行う共同作業ということになってきます。そうなれば情報の共用というのは当然のことです。その情報の共用ということについて、カルテ開示のみがすごく強調されていますが、これは単なる手段であって、カルテ開示にこだわらない情報提供こそが求められているというふうに思います。
 また、インフォームド・コンセントという言葉があります。このインフォームド・コンセントという言葉は実に気楽に使われておりますが、日本のインフォームド・コンセントは日本型と言うべきで、単に患者への説明が親切になったにすぎません。本来ならばインフォームド・コンセントというのは「説明と同意」ではなくて、「説明と自己決定」というふうに訳すべき内容を示すのです。日本のインフォームド・コンセントでは、患者に自己決定させると言うのではなく、主治医が都合良いように患者を誘導しています。だから、患者にはあまり情報の提供がいらなかったわけですが、真のインフォームド・コンセントというのは、主治医は患者に自分の考えは説明しませんし、患者は主治医より与えられた客観的な情報、自ら集めた情報、セカンド、サードオピニオンも含めた情報を基に自分で判断し、主治医に返事するのです。まだ日本ではそのような土壌ではありませんが、今回のカルテ開示を含めた情報開示にの進展によって、より一層発展していくことが期待されます.
 時間ですのでここで終わります。


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