祝辞:戴帽式2007(2007.10.27)

            
 本日、晴れてナースキャップを受けられましたみなさん、ご参列いただきましたご父兄の皆様方、おめでとうございます。
 私は、みなさん方がこれから臨床実習を受けられる、中通総合病院の院長の福田です。今日は一言お祝いを述べさせていただきます。

 私は昨年初めて戴帽式に出席させていただきました。本日は2回目ですが、みなさん方も感動されたでしょうが、私は昨年同様に心からに感動しました。

 昨年、式の進行をじっと見ながら、改めて何故戴帽式では「周囲を暗くする」のか、「何故ロウソクの光なのか」の意味を考えてみました。その時、この暗闇は、恐らく病に悩む患者の揺れ動く不安な心を表しており、一筋のロウソクの光はそこを訪れる「看護師の心」を表し、患者にとっては「希望の光」なのだ、と私は解釈しました。

 私は本年8月1日に泌尿器系の病気で下腹部を大きく切開する手術を受けました。術後襲ってくる痛みで不安がつのる中、深夜に懐中電灯を片手に私の状態を確かめに訪れた看護師さんの姿、言葉に大きな「安心感」と「闘病する勇気」を戴きました。昨年考えたことを、今年手術という体験を通じて実感できたことは私にとって大きな喜びになっています。
 昨年、若い看護師さん数人に声を掛けて聴いたところ、戴帽式の時の感激は忘れられません・・・とみんなが話しておりました。今日はみなさん方にとって、先輩の看護師さん同様、末永く心の拠り所となる、記念すべき日になることでしょう。

 アメリカの医師は大学卒業の際に、「ヒポクラテスの誓い」を読み上げると聴いておりますが、私ども日本の医師にとっては、残念ながらこのような厳かな儀式はありません。
 私にとって、今日の戴帽式に相当する日は何であったのか、と思い出してみると、基礎勉強の後に迎えた解剖実習の初日、献体された尊い方々の皮膚にメスを入れた、あの瞬間なのかな・・と思います。私はあの瞬間を決して忘れることはありません。

 人は生まれた以上、病になることは避けられません。やがては老いて数々の障害を抱え、いずれは死を迎えます。その時、人は不安に苛まれ、とても心細くなって、助けを求めます。このような人達に優しく声を掛け、手をさしのべることは如何に大切なことか、言うまでもありません。私は医師として、このような、病める方々のお世話をする、そう言う職業を選んだことに誇りを感じています。

 医療・福祉の分野は現在20数種類の職種の方々が協力して行っています。医療人の一人になるために、看護の分野で勉強を続けている、若いみなさんの表情を見て、志を同じにする仲間を迎える一人の先輩としてわたくしはとても嬉しく感じます。

 今日の感激を心を糧にして、今後一層勉強され、将来は良き「看護技術」と「看護の心」を備えた看護師として社会に貢献されることを願っております。

 最後になりますが、私から一つお願いがあります。
 今、全国的に医師も看護師も不足しています。その中でも特に秋田では医師も看護師も不足しています。みなさん方には、「秋田の県民の方々の健康は秋田県民である自分たちが守っていくのだ」という気概を持っていただきたいと思います。
 このような美しく、豊かな自然、優しく素朴な人間性、そんな秋田を支えている、支えてきた秋田県民の健康を、私どもと一緒に守っていただきたい、と願っておりますし、期待もしております。

 以上、お願いと期待の言葉を添えて、お祝いの言葉と致します。



                                                       (2007/10/27)


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