就職内定された方々に贈る言葉(2007.10.13)

----第二回就職内定者懇談会のあいさつ-----


 本日は第2回目の就職内定者の方々との懇談会です。会を始める前に、迎える立場から少しお話しいたします。

 1)就職内定者懇談会とは
 この就職内定者との懇談会は昨年から開催され、今回は第二回目となります。
 この会が催された切っかけは、第一は、みなさん方が卒業後の職場として明和会を選んだものの、実際にはまだいろいろ不安や迷いがあるのだろう、と思います。そのために、これから一緒に働くことになる職場の指導的立場の看護師、中堅の看護師、若い看護師の方々と懇談することによって、不安を少しでも取り除いて、安心して私どもの職場に入ってきて欲しいと言う願いからです。

 第二の目的はみなさん方も大体予想は付いていると思うのですが、今、医師不足、看護師不足が原因となってわが国の医療は崩壊しつつあります。
 日本の歴史の中で医師も看護師も十分に足りていたという歴史は一度もありませんでしたが、その不足状態の中、昨年から医療制度が変わり、全国の大病院は看護のレベルを上げようと看護師の増員をしています。そのために昨年から一層看護師が不足し、全国の医療機関は看護師集めに必死です。要するに、今ほどみなさん方看護学生の卒業後の動向が注目されたことはありません。

  多分、みなさん方にも県内外の医療機関から就職の勧誘があったと思いますが、そんな状況の中であえて地元の秋田で、明和会で看護の職に就こうと決断されたみなさん方を何としてもサポートしていきたいし、法人として感謝の気持ちを表し、心から歓迎したい、という気持ちの表れです。
 これが、就職内定者との懇談会が模様された二つの理由です。

 2)医療機関の設立母体の話し
 次ぎに、秋田県内の医療機関の状況について若干お話しいたします。

 秋田県内には病床数400以上の大規模な総合病院は大学病院を筆頭に10数病院がありますが、殆どは国とか県、市、厚生連の病院でいわゆる公立あるいは公的病院とされる病院です。その中で私どもの所だけが医療法人立、すなわち私立の病院と言うことになります。しかし、私どもの病院は社会に対する長年の貢献度が厚労大臣から認められ、特別医療法人として国から認可され、社会的には公的病院とほぼ同列の扱いを受けています。

 みなさん方は、恐らく両親を始めとして周辺の方々から、例え中通高等看護学院を卒業したからとしても、明和会でなく大学とかの公的病院への就職を勧められ、迷った方もいると思いますし、まだウジウジと迷っている方もいるかも知れません。
 それに対し、私はそんなことなどで全く迷う必要はないし、看護師としてスタートを切るにあたってみなさん方は最も良い選択をしたのだ、ということを私の経験を元にお話ししたいと思います。

 3)すぐれた医療観、看護観こそ重要
 私は大学卒業後、岩手県から借りた奨学金返済の義務年限の2年間を三陸の病院で過ごした後、子育ての場所として家内の出身地である秋田を選択しました。約14年間大学病院で白血病や悪性リンパ腫等の血液疾患の治療、骨髄移植療法の勉強をしました。十分学んだし、有能な後輩も揃ってきたと言うことで大学を辞めて病院で働くことにしたのですが、その際、迷うことなく中通病院を選びました。

 その理由は、秋田に来てからいろいろな病院の様子を知りましたが、中通病院は私がずっと抱いてきた医療観に最も近い医療を展開している病院でありそうだと言うこと、外から見ていてとても活気がある病院であったことでした。病院についての詳細はよく解らなかったのですが、雇っていただく以上、最低3年は頑張って自分のいびつな臨床力を鍛え直すつもりできたのです。しかし、結果として20数年間も居着いてしまいました。

 私が中通病院を離れず今に至ったルーツは、これは就職してから分かったことですが、何と言っても中通病院は当時から医療の原点である「患者の立場に立つ医療」を実質的に展開していたし、看護師の方々方の親身な、かつひたむきな仕事振り、看護技術に驚いたことにありました。

 医師として多忙な業務を行っていく上で大事なのはチーム医療であり、その中では看護師との連携が最も重要であることはい言う迄もありません。自分の医療観をもとに仕事をしていくのに、この病院は相応しかったし、通じあえる仲間として当院の看護師達の看護観を気に入ったから、私もつい長い間居着いてしまったわけです。

 要するに言いたいことは、みなさん方が看護師のスタートを切るにあたって、公立とか厚生連とか私立とかの設立母体の問題は二の次だと言うことです。卒業後は看護師として最も大事な時期です。優れた看護観を持つ医療機関で初期の看護技術、看護観を磨く、そのことこそ今のみなさん方にとって最も大事なことだと考えています。その意味でみなさん方の決断を心から支持したいと思っています。

 4)医療とは? 看護とは?
 それほど評価をするならば、私が看護を何ととらえているのか?それを示さなければ片手落ちになります。
 みなさん方、医療の定義はなんだと思いますか?いろいろ定義はありますが、私は、医療とは「大きなリスクを回避するために小さなリスクを与える」ものだと定義しています。

 看護の定義を語る場合、その業務範囲はあまりにも広いのでまとめるのは困難なのですが、短い言葉でまとめるとすれば、私は看護とは「患者のいのち守り、人として生かす職業であり、その技術である」、とまとめています。

 5)生命には「命」と「いのち」がある
 生命には漢字で書く「命」とひらがなで書く「いのち」の2種類があります。これらの違いを明快に分けることは勿論出来ませんが、われわれ医師はどちらかというと漢字で書く「命」をあつかう職業だと思います。一方、看護師があつかうのはひらがなで書く「いのち」です。

 ここでもまた私の体験をお話ししようと思います。
 私はつい先日、8月1日に膀胱の病気で手術を受けました。全身麻酔下で内視鏡下に膀胱の内側の病変の治療を受け、同時に下腹部を切開して膀胱の外側の病変の治療をしていただきました。

 私は、アレルギー体質であり、出血も止まりがたい方です。医療行為は先ほど述べたように基本的に生体にリスクを与える危険なものです。そのために時には不測の事態も生じうるし、最悪の場合には死亡することも、植物人間的状況になることもありうる、と覚悟していました。そのため、もし「植物状態に至って4週間経って改善がなければ水分も栄養も酸素もすべて不要です」、とのリビング・ウイルを提出して手術に臨みました。

 漢字で書く私の「命」は麻酔科医と泌尿器科医の優れた技術によって守られ、目が覚めたときには幸いにもまだこの世にいました。

 6)自由を奪われた身は実に辛い
 私の漢字で書く「命」は守られましたが、私は全身麻酔や術後の影響によると思われる全身的違和感と激しい疼痛もあって、ほぼ自由を奪われた状況に陥りました。この時に感じたことは、日常当たり前に行っていた、寝返り、洗顔、うがい、歯磨き、痒いところに手を伸ばす、身体を清潔に保つ清拭などのちょっとした行為を完全に奪われた状態というのは、生きた心地がない、生きている満足感、実感が全くないという、本当に辛い、襲ってくる疼痛以上に苦しい状況でありました。

 私は院長としての入院ですから病棟の看護師の方々は相当に緊張していたでしょうし、多分私からいろいろ希望を出してもすべての要求に対応していただけたと思いますが、私は鎮痛剤の希望を含めてあえて一切希望を出しませんでした。実際には嫌な患者と思われることも心外であったので必死にやせ我慢していたのですが、時折訪れて私の状況を観察した看護師方から次々と援助の手がさしのべられ、その一つ一つの看護援助で私はこの世に生きているという実感を取り戻すことが出来ました。特に、術後3日目、異常な暑さが続いた中、冷房嫌いで全身汗まみれになった私をS3病棟の看護師が数人がかりで清拭してくれましたが、その時の爽快感は何者にも替えがたく、私はそのとき本当に「いのち」を与えられた、と実感し、当院の看護師達の患者の気持ち、状態を読み取る技術を含め、看護技術レベルの高さをも患者の立場でしっかりと認識しました。

 7)的確な看護技術は患者を救い、闘病意欲を高める
 健康な私どもは何時でもストレスに対して回避する行動が出来ますが、病気になった患者はその自由を奪われ、もともとの性格にもよりますが、容易にパニック状態に陥り、先を悲観したり、うつ的になったり、ヒステリックになったりするものなのです。

 看護の仕事は診療介助も大事ですが、疾病その他で心身双方に数々の障害を抱えた患者に対して的確な生活援助を行い、生きていることの満足感、実感を呼び戻し、闘病意識をも高める仕事だと思っています。例え、死に至る患者でもその瞬間まで前向きに生きていただく、その援助が出来るプロ集団、それが看護師です。
 看護師にまず必要なのは「優しい心」であることは勿論ですが、その心だけでは何も解決できません。看護師としてはその心の上に職業人としての看護技術をしっかりと身につける必要があります。

  私の医療観は幼少の時から医師である祖父の姿や行動、言葉から教わりました。その医療観が今の私を作っていますし、明和会の看護師方も素晴らしい看護観を持っていると思います。その内容は医療の原点により近いと思います。創業以来綿々と受け継がれ、時代の変遷の洗練を受けて更に磨かれてきた優れた看護観、技術です。看護師免許を得て看護師としてのスタートを明和会で始め、その看護観や看護技術を受け継いで蓄積・発展させていく、そしてそれを後輩達に伝えていく、その意義は何者にも代え難い大きな価値がある、と私は考えております。

 8)職業人として身につけるべき事
 最後に、看護師として、組織人の一員となるみなさん方に自分をも救うことが出来る大切な三つの言葉を贈りたいと思います。それは「笑顔」「挨拶」「ディスカッション」です。これは良好な人間関係を理知的に維持していくために絶対的に必要なことで、私が院長に就任してからスタッフに機会ある毎に言い続けている言葉です。この三つが備わっていればかなりのストレスを乗り切ることが出来るのです。

 9)おわりに 
 看護師不足の折、みなさん方が就職先として明和会を選んでいただいたことに院長として改めて感謝しますが、それ以上に明和会で看護師としてスタートを切ることについてはみなさん方のこれからの長い看護師としての人生のためにも良い選択をされたのだ、と心からお祝いしたいとおもいます。

 ちょっと長かったのですが、私の気持ちの一部をお伝えしました。

 11月初旬に明和会の看護交流集会というのがあります。その時に講演の機会が与えられました。その時は今話した内容に近いことを更に詳しく述べようと思っております。もう少し聞いたみたいと思われる方は参加なさってください。

 今日は短い時間ですが講演とか昼食会とかが予定されていますので、有意義に過ごしていただきますように願っております。

                                                     (2007/10/13 弥高会館)


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