中通病院医報、31(1)2-8、1990

      
中通病院の外来は今後いかなる方向性にあるべきか
(私見)
                                
内科 福田光之 *
1.はじめに
 当院が求め続けてきた
良質で包括的な医療活動が地域医療の中で重要な役割を果して来たことは万人の認めるところであろう。この間の厳しかった歩み、到達点については中谷中通リハビリテーション病院院長が中通病院医報などに幾度か発表されている。第16回秋田県連学術集談会における中谷院長の特別講演は、聴くものに大きな感銘を与えたことは記憶に新しい。しかしながら、私は当院の現状との間にギャップと違和感とを感じずには聴いていられなかった。ここ数年間の間に中通病院の内外に一体何が生じたのであろうか。
 大規模病院となった今、中通病院の医療活動は確実に変化している。各診療科毎に有能なスタッフが揃い、最新の医療機器を駆使して最先端レベルの医療が追及され、学会活動も盛んである。このこと自体は実に喜ばしいことであり、今後も追及されることが望ましい。
 一方、最近、医師は自分の属する診療科内の業務のみに集中する傾向が顕著となり、当院が継続的に追及してきた多方面にわたる医療活動に参加する姿勢が乏しくなって来ている。この傾向は必ずしも専門性が高まったことや日常の業務量が増えたことに起因しているのではないだろう。
 主に、
●組織が巨大化し、病院の全体像が見えにくくなって来たこと、
●医局の構成員がいろいろな意味で多様化して来ていること、
●当院の医療活動を継承し発展させる立場にある個人、組織双方の指導性が欠如していること

に因っていると私は考えている。
   このままの状況下では各専門分野を越えて共通の基盤に根ざした包括的医療活動の維持は難しくなるであろう。従来からの方向性を堅持し、当院独自の特徴のある医療活動を今後も追及するとすれば、指導的立場にある個人、組織の指導性が今以上に問われる時は無い。
 1978年、秋田民医連の医療の長期計画がまとめられ、1985年にはその見直しがなされた。何れも意欲溢れる力強い内容でまとめられ、当時の活動の一端を窺い知ることが出来る。しかし、その中に盛り込まれている内容は近年の目まぐるしい医療情勢の変化や院内外の諸事情の変貌によって既に現状にそぐわない内容になっている。それほどここ10年間の医療界の変化には、良きにつけ、悪しきにつけ、目を見張るものがある。いずれにせよ、中通病院の医療活動の今後の在り方や将来構想は改めて検討しなおす時期に至ったことには間違いがなく、早急に着手すべきである。その過程の中で、現状で抱えている問題点を厳しく分析し、裁断をもって組織の改変や業務の整理なども行う必要がある。
 明和会の将来構想、医療構想づくりについての話題が出てから久しい。法人理事会では当然、構想の作成作業が進んでいると考えられ、近々提示されるものと期待される。
 私は部長として外来医療部を担当している立場上、医療機関の外来の在り方について考える機会が多くなった。当院の現状の外来について私は、規模は巨大化し医療レベルも高まって来たが運営のフィロソフィーは旧態依然のままで、もてる機能が充分には発揮されていない、という感想をいだいている。外来診療を担当する医師も恐らくは現状の余裕のない診療に満足してはいないと思うが、何故か具体的な改善の提起がなされたこともない。恐らく、超ベテラン医師に対し遠慮があるためであろう。
 県連の長期計画には、ひたすら外来患者数を増やすことが強調されているし、曜日毎、診療科毎のアンバランスを是正して可能なだけ患者数を増やすべきとの意見はよく聴こえてくる。しかし、診察医の個人的限界を遥かに越えた多数の患者を診察しなければならない現状の外来は、医師としての満足感も低く、ただ疲労感のみが残る。私は現状の様な外来診療を展望もないまま、いつまでも繰り返していくことには空しさと嫌悪感を覚える。より納得できる外来診療を模索している一医師の立場から見て疑問がある。外来診療はこんなもので良いはずはない。
 患者地域の医療機関、さらに現場で働くわれわれ職員の三者にとって、当院の外来が今後どの様に運営されれば良いかについて考えてみた.
 その結果、地域の開業医との連携を重視した地域医療ネットワーク構想を当院が中心となって推進し、当院の外来患者はマンパワーと物理的要因から見た適性数(凡そ1400人/day程度か)の範囲において、より機能的かつ濃厚な診療を行う方向へ転換することが重要と考えた。
 視野が狭く独善的であり、まだ検討を加えるべき点もあるが、中通病院の外来の将来像について主としてソフトの面から私の考えの一部を述べてみる。尚、この小論が取り扱った外来の展望は慢性疾患患者を診療する機会の多い診療科についてのものであり、すべての診療科に当てはまるものではないことをお断りする。
 関係する各位の率直なご批判を期待している。
 
2. 入院と外来医療について
 わが国の医療は欧米諸国と異なり外来医療が主となって発達し、医療機関には外来医療に付属する機能として入院医療が併設されて来た。この間、病院の機能や規模別による再編成がなされないまま現在に至っている。そのためレベルの違いはあれ各規模の医療機関で似たような医療が展開されている。経済的視点から見ると病床数に比べ外来患者数が少なければ空床で、病床利用率を上げると必然的に慢性疾患患者の比率が低下する。そのため、各病院とも一定数の外来患者を抱える事が経営上重要なこととされ、その意義は病院の規模によって変わりが無い。その結果、あらゆる規模の医療機関は渾然一体となって外来患者をめぐり熾烈な競合をしあうこととなった。
 当院では現在ですら外来診療に相当のマンパワーを費やしており、検診などの少ない冬期間でさえウイークデイの午前中にデューティを持たない内科系科長、科長補佐は殆ど見当たらない。そのため他の医療活動にしわ寄せが生じ始めている.
 また、外来診療部門は物理的に見ても手狭で既に限界に達しつつある。外来の診療スペースについては増改築委員会で検討中であるが、当院のスペースはもとより有限であり大幅な拡張は到底望みえない。従って、県連の長期計画に見られる如く患者数を増加させる方向で今後の外来運営を考えていくと、例えマンパワーやスペースのどちらかが充足したとしても診療自体に余裕を失い、きめ細やかな医療サービスの提供は困難となる。
 その結果、患者の病院離れが生じるばかりでなく、更にはスタッフの心身の疲弊と共に医療活動全体の低迷に結びつく。
3.医療をめぐる環境の変化
 医学の進歩、生活の向上、人口構成の変化などを背景にして、単に医療を提供する側のみでなく受療者側の意識も大きく変わってきた。医学の進歩や技術革新は、医療現場の医師及び病院の在り方にかなりの影響を及ぼした。
 
医師は専門性を重視し、狭くとも深い医学技術の習得に努めるようになり、病院も専門分野の拡充による機能性の向上を念頭において発展、拡張してきた。従来は一部の先駆的医療機関でしか出来なかったCTやMRIなどによる画像診断、血管造影、複雑な内視鏡の手技ですら日常的になりつつある。ちなみに、1988年1月の時点の調査であるが、本邦でCTが5382台、MRIが227台稼働している。CTの発明国であるイギリスでは全土で百数十合、フランスで数十台しかなく、アメリカですら人口比では本邦の1/3しかないということから見て驚異的普及率である。殆ど侵襲を加えずに病態をより正確に把握でき、適正な治療が出来ることは医師にとっても患者にとっても喜ぱしいことではある。他方、本邦の医療費の高騰の背景の一端も示されているとも言える。
 良い医療は良い人間関係の上に於いてのみ成立するのであり、その意味においては医学の進歩は必ずしも直ちに医療の発展につながるわけではない。特にプライマリーケアの現場では最先端の技術より広い基本的臨床能力が要求される。このことは極めて重要なことであるが、ともすれば忘れられ易く、軽視され易いことでもある。しかしながら、最近は専門性の追及が高じるあまり、医師のプライマリーケアの能力は確実に低下しつつある、と言える。このことは医師自身も暗黙のうちに自覚しており、最先端の医療機器を含む各種の検査成績の結果を求めなければ安心して医療が出来なくなっている様である。いづれにせよ若手の医師は専門性を発揮出来るような設備の豊富な大病院に集中している。その結果、従来から地域に根ざし、地域医療の中核をなしてきた開業医や中小規模病院の医師には高齢化や弱体化が目立ってきた。
 受療者の医療ニーズも多様化した。経済的に余裕が生じ、生活の向上と共にマスコミなどを通じてもたらされてきた健康に対する知識は、正しく伝わっているか否かは別として、受療者側の医療を求める意識にも変革を及ぼした。医療は地域完結性が高く、住民の居住区と離れたところでいかに医療が発展してもその恩恵は受け難いものである。秋田大学に医学部が開設されてから秋田県の医療レベルは一気に向上したが、必ずしもあまねく県民に恩恵があったわけではなかった。最近秋田県内や近郊市町村の主だった医療機関は相次いで新築や増改築し、秋田大学との連携の元に機能的にも拡充してきた。このことは地域の新聞やテレビなどで頻回に紹介され、結果として県民の医療に対する要求度は急速に高まってきた。病院の持つ機能に対する関心も高まり、住民はより大規模の病院で質の高い医療を受けることを希望する様になった。不定愁訴に悩む患者が自らCTを希望して来院することは稀ではないし、最近はMRIの希望者も出てきた。
 大規模病院といえどもプライマリーケアの分野で見れば各患者が受けている医療は必ずしも経験豊富な医師による診療所レベルより高いとはいえない。しかし、受療者は各医療機関の能力を正確に知る手段を持ち合わせていないため規模や医療設備などから判断する。また、同じ費用を支払って医療を受けるのであれば、より信頼がおけそうな、清潔で洗練された療養環境を持つ新しい病院を求めていくのは当然のことでもある。
 最近では、国の低医療費政策を反映し、医療法や診療報酬の改訂の度に医療機関の経営は難しくなってきている。大規模病院も経営上互いに競争しあっているので外来患者を積極的に受け入れる。そのため患者数が急増し、結果的に外来での医療サービスの低下がもたらされている。外来患者数が伸びているのは決して中通病院ばかりではない。
 いずれにせよ、この様な状況ではより良い医療、対応を求めて遠方から通院し、あるいは長い待ち時間に耐えている患者が満足するような医療を提供できるはずはない。最近、患者自身も求るべきは立派な施設や設備ではなく、それらを背景にした医療スタッフとの間に生ずる人間関係であることを理解し始めたように思える。最近、患者は再び地域の中小病院、診療所へUターンし始めている。事実、港北診療所や出張診、大曲中通病院では時折Uターンしてきた患者に出違うし、しかも若干増えつつある印象を持つ。これ自体は、地域医療を再構築する上では好都合といえるが、中小病院、診療所の今後は、この医療ニーズの高度化、多様化した愚者に十分満足して貰える医療を提供できるか否かにかかっている。そのために各医療機関とも存在形態をはじめとして改善しなければならない点も多い。
 明和会院所の中ではこの様な医療情勢の真只中にあるのが大曲中通病院である。変遷する仙北地区の医療情勢の中で地域住民の求めるような特色のある医療を実践していくための検討や変革は現時点で少なくとも5年は遅れてしまったと思う。これは大曲中通病院の現場の責任のみでないのは明らかであるが、2年毎に事務長が交替するような方向を現場や責任者達が容認するようでは業績が先細りになるのも当然であろう。診療科の増設、移転増改築の論議以前に対策すべき身近な問題、論ずるべき問題は多い。
4. 地域医療の在り方と病診連携の今日的意義について
 医療機関は規模の大小に係わらず、その持てる機能の最良の部分で地域医療の一翼を担うべきであるが、実際の医療現場では少なからず混乱が生じている。かつてはプライマリーケアの分野における重要度、貢献度は医療機関の規模に反比例しており地域の診療所が果たしてきた役割は大きかった。最近ではすべての医療機関の指向が画一化し激しく競合する様になってきている。患者からの要求に応えていくために診療所でもかなりの医療機器を整えざるを得ない状況になってきたが、それでも限られた範囲の医療しか出来得ない。先進的医療サービスを行うという点では豊富な資本力を背景にした大病院の方が優位に対応し得るのは当然であり、病診間の機能格差は相対的にも、絶対的にも拡大の一途を辿った。また、プライマリーケアの分野をも大病院が担うという本質的に好ましくない傾向が強まりつつある。その結果、中小規模の医療機関および医師の地域医療の中で抱いてきたアイデンティティが損なわれ、保全的、保守的な立場で医療を行なわざるを得なくなって来ている。特に診療所機能の低迷は著しく、結果的に若手医師と受療者の双方から深刻な診療所離れを招いてしまった。この状態のままでは良い地域医療の供給は困難であり、患者の大病院思考という悪循環はいつまでも続くことになる。
 ここまで至たらせた背景には地域の医師会の指導性が欠如していた事もあるが、大病院側の姿勢に大きな問題があったためとも言いうる。
この停滞著しい状況を打破するためには大病院がさらに拡充しても片手落ちであり、細やかな医療の供給は困難である。即ち、受療者のみならず若手医師に意識改革をもたらすことが出来るような、実効のある地域医療供給システムを再構築し、プライマリーケアは基本的に診療所で行うように変革すること以外ないと考える。
 昨年5月、秋田県の医療計画が発表された。この総論、各論の中では病診連携のあり方などについて、かなり良くとらええられており、一読の価値がある。しかし、その具現化をどうするかという面では各論も総論調に終始しており、何を言わんとしているか理解に苦しむ。もともと、この医療構想は低医療費政策の一環としてのベット規制が主たる目的であり、その理由付けのための記述である事は明らかで、本末転倒である。従ってこの計画が発表されたことによって医療の供給に大きな改革がもたらされることは期待できない。むしろ3次機能病院として挙げられている公的医療機関がより権威主義に陥っていく危険性すらある。
 従って、地域の医療供給を改善するためには、より機能的な、独自の地域医療システムを医療機関同志で作り上げなければならない。具体的骨子として、プライマリーケアと専門的医療の機能性の分担で病診間で経営的競合を無くすること、・病院との有機的機能の結合で診療所でも患者のニーズや必要に応じて高度の医療を提供できる様な体制(病診連携)を築くことである。
 病院と診療所(開業医)は本来なら存在理念も機能も異なるのが当然で、十分に共存出来るはずである。しかしながら、わが国では医療機関の機能の分化が不十分で互い競合しながら発展してきたという関係にあるため病診連携と言うのは易しいがその確立は決して簡単ではない。外来診療を通じて展開されるプライマリーケアの分野においては、各地域の診療所はその地域に根ざしているというメリットに加え実地医家としての豊富な経験とを背景に大病院よりも優れた対応をすることも可能であり、果たすべき役割は大きい。その診療の過程で診療所機能のみではとても対応しきれないような医学的管理を要する、または要求する患者は一定頻度で発生する。この場合、患者や診療所の医師が継続的かつ包括的な医療を求めるならば、信頼がおけて、かつ気軽に利用できる高度の機能性をそなえた後方病院が必要となる。現状ではこの場合の連携が十分機能していないため患者や診療所が困惑することになる。
 地域ごとに利用しやすい中核的病院を置いた地域医療圏構想の確立は現在の多様化した医療ニーズに応えていくために必須なことと考えられる。その場合、各医療機関にはその持てる機能を明確にし、役割分担を念頭に置いた発想の転換が求められる。即ち、古くから言われてこともあるが、大規模病院では外来機能を診療所に積極的に移行させ、自らは十分な設備とマンパワーを背景に濃厚な医療に徹する方向が究極的な姿である。厚生省の推し進めつつある病院機能分類は医療費削減が目的であり、本稿で言わんとしている主旨とは全く異なるものである事は誤解のない様に強調しておく。
 中通病院は十分に地域の中核となりうる能力を兼ね備えた総合病院であるが、地域医療のネットワークの確立のためには自らが率先して変革しなければならない課題も多い。その点については後述する。
5、病診連携が機能した際のメりット
病診連携が機能すれば医療機関双方に計り知れないメリットをもたらす。例を挙げてみると、
・病院、診療所の軽量化一ー病院は外来に関する設備、スペース、マンパワーを縮小できる。診療所は日常診療に必要な簡単な検査機器、応急処置用の設備、および病院間で情報を授受するための通信機器程度で開設運営が可能となる。 
・診療所も病院の機能を共有できより広い医療活動が可能となる。 
・各分野のエキスパートとのコミュニケションが紹介患者を中心とした情報交換を通じて体験学習が互いに可能となる。 ・24時間体制の病院とのタイアップで主治医不在時間帯、特に夜間帯の継続医療も可能となる。 
・高額、高性能医療機器の共同利用による効率化が可能となる。 
・病診間を通じて重複検査が省かれ、継続的かつ包括的医療が可能となる。
・その他.
 これらの利点は結果的には医療供給システムの改善を通じ地域の患者の利益になることは明らかである。大部分の患者は日常的には最寄りの診療所に通院し、病状が変わったときや時折の検査の際に、予約された時間帯に病院を受診することで事足りる様になる。これは理想的な状況であろう。
6.中通病院と地域医療
 中通病院では従来から地域医療への貢献を大きな目標にかかげた医療活動を行い、大きな成果を挙げてきた。しかし、その構想はどちらかと言えば自己完結的な要素が濃厚で、問題がある。特に一次医療の重視は近隣地域の診療所の利害と真っ向から競合する。従来から地域の診療所との連携を重視し、紹介状に対しては返事を早く、洩れなく出すなどの地道な努力はしてきたが、前医に患者を返すことや、患者を積極的に近くの診療所に紹介する点では十分とは言えなかった。即ち、あくまでも病院の立場から見た鳥轍的病診連携の発想のレベルであって、診療所の立場には立っていなかったと言える。病診連携の面では不十分な成果しか挙げてこれなかったのは半ば当然の帰結である。
 恐らく、病診連携の面で最も柔軟性のある対応が出来る県内の大規模病院は当院てあろう.今後の医療構想を作成するに当って、新しい発想で自ら地域の診療所との連携を深める方向性を検討して実行することは決して不可能ではない。
7、病診連携のためにわれわれが取るべき具体的方法
 総論が完成していても具現法が欠けると実践はできず構想は宙に浮く。まず、
★中通病院では外来においても能力を多方面かつ高度に発揮できるので、先ずこの機能を地域に周知し、地域の医療機関に解放すべき. 
★病診連携の指向のもとでは病状の安定した慢性疾患患者は必ずしもわれわれが外来でフォローする必要はなく、積極的に地域の診療所に依頼する. 
★中通病院は機能的にオープン化に近づけ、気軽に利用してもらえるよう診療所倒に立つ姿勢を確立する。
 具体的な例として以下の事項などが挙げられよう。
(1)外来に対外的な窓口をおき、専任の医師と対外交渉係りを配備し診療所と日常の連絡を密にとる。
(2)検査や入院の適応などの診療所の判断は可能なかぎり尊重する。
(3)検査予約の直接化、単純化.対外的には放射線科外来を独立させ一本化し結果に責任を持つ。
(4)主治医不在の患者の治療に病院の24時間体制で援助する。この場合連携と継続的医療のために互いに情報を交わす必要がある。
(5)医師会活動などの場を通じ地域の医師とコミュニケーションを図る。
(6)患者に関する情報は紹介医に定期的に報告する。
(7)病状が安定し診療方針の定まった患者の管理はその地域の診療所に依頼し、共同で包括的、継続的医療をその患者の生涯に渡り行う。
8、中通病院外来の問題点
 小規模病院の外来や診療所では投薬治療が主体となるのはやむを得ないが、中通病院では各専門領域のエキスパートが着任し外来でも高度の判断や検査、治療が可能になってきた。しかしながら、外来機能の発揮のための発想の転換は未だに不十分である。
 大規模病院の外来運営方針が中、小規模病院と大差ないとすれば問題である。
 当院の外来の問題点と改善すべき点を列挙してみると、
●患者の通院の便や病態から見て当院に通院するまでもない患者が多数通院している。患者の自発的通院希望に対応するのは良いが、実際には担当医の配慮が欠けているためであることが多い。通院の実情も聞き取りすべきであり、通院困難な患者を敢て当院に通院させる必要はない。 
一次から三次医療まで果たしてきた実績は大きいが、多機能の総合病院として総てをカバーし続けることは非能率的である。診療科によって各々意義は異なるが、例えば高血圧などの慢性疾患管理は必ずしも当院でやるべきとは思わない。病状の安定した慢性疾患患者は積極的に地域の診療所に依頼すべきである。 
●当院の一次機能のうち24時間体制と救急診療は長い歴史の積み重ねの中で高く評価されてきた分野である。今後もより重視し機能的にも拡充すべきであろう。この場合、これをサポートする病棟体制、高度医療供給のための体制従事する職員の労働条件なども検討しなければならない。
●日々の外来患者数に不定の要素が多く対応が非能率である。まず、簡単な次回来院予約や患者の来院予定日を電話で受け付ける程度の予約制を導入し、予めカルテ、伝票などを外来に回しておくと労務軽減と患者の待時間の改善に結びつく。 
●新患患者の振り分けを始めとし、能率良い外来診療を行うための配慮が不十分である。新患の場合は特に他科への適正かつ速やかな振り分けが重要であるが当院ではそのシステムは欠如している。総合受付の機能を高め、更に内科の新患を2診体制とし1診では診療科を決め難い患者の振り分けと対症療法のみで済むようなcommondlseaseを能率良く診療し、他の1診には総合外来的機能を持たせて診療に当たるのが良い。複数体制を取っている診療科の再来も同様の役割分担を行うのが効率的である。検診で異常を指摘された患者、検査結果説明のための受診者、症状から来院目的が明らかですぐに外来治療を行える患者とそれに該当しない患者とは区別して扱うべきである。複雑な背景因子をもち十分な医学的対応を求めている患者や特定の医師の診察を希望する患者は例え待時間や診療時間が長くとも納得する。その意味では特殊外来の機能性を整理しさらに有効に活用する方法も考慮すべきである。
●曜日、診療科毎の患者数のアンバランスを是正するなどの地道な努力も必要であろう。
●検査結果の当月返しを徹底させ、慢性疾患の定期的経過観察以外は可能な限り緊急検査で処理すべきである。この場合診察前待ち時間を有効に用いる必要がある。
9. 当院の外来機能を高めるために
 当院の外来機能を整理し機能性を高めるとより充実した対応が外来レベルで可能となる。その結果、病棟もより能率的に運営することができ、平均入院期間の短縮にも結び着くであろう。例えば、状態の良い患者の手術の場合、術前検査は外来ですべて済ませ備前の入院時期は主治医とのコミュニケーションに要する時間のみでよいことになる。
 この場合、中通リハビリテーション病院の在り方も再検討し、中通病院と一体化した機能分担を推し進める必要がある。
 検査室、放射線部門との有機的タイアップは病院機能の充実に欠くことの出来ない重要な因子である。機能別に項目だけ挙げておく。

・入院前診断、備前検査のできる高度診断機能をもつ外来
・退院後継続治療及び経過観察外来
・多方面に渡る専門外来、特殊外来
・高額、高性能医療機器の共同利用外来(CT、MRI、angioetc)
・救急外来、時間外外来
・船外来および総合外来今後充実が望まれている外来として
・在宅医療支援外来
・出張診外来
・社会医学的、予防医学的外来
・精神科医の参加を得た心身症外来、総合外来
10、高速道路をギアを二速のままで疾走しているとどうなる?
 中通病院の外来はこの数年の間に一日800人から1、OOO人以上となり、時には1、500人にも達するが、その在り方、対応の実際は殆ど検討されていない。中通病院の医療活動は通常の入院、外来診療のみではなく、24時間体制の救急外来、出張診療、検診活動、友の会活動など多岐に渡る。そのほか港北診療所、大曲中通病院の診療応援も行っている。しかし現状では膨れ上がった外来診療に要するマンパワーの確保すら困難な状況で、やっとまかなわれているのが実情である。一般的に一日の適正外来患者数は病床数の3倍と言われいるがこれは誤った考え方で算出された数値と思う。当院ではこのままの体制でその数に相当する患者を抱え込むとマンパワー、スペースの面でどうしようもなくなり外来診療は機能が低下するであろう。
 更に他の医療活動の維持も困難となり、結果として全病院機能が低迷することになるであろう。
 当院の医療活動、労働実体は変速ギアを二速に入れたままで高速道路を走っている車に例えることが出来よう。車自体永持ちしないし、乗り心地も悪い。今までの歴史の中で、多方面にわたって精力的に活躍された数多くの方々が途中でリタイアして来たようである。このままではマンパワーの疲弊が避けられないであろうし、その様な事態は当院にとって何にも増して重大な意味を持つであろう
11、おわりに
 患者の立場に立つ良い医療を提供するために、地域の医療機関とも共存しつつ経営を安定させるために、現場の我々がもう少し余裕をもって医療活動が出来るようにするために、はどうすれば良いのかという素朴な視点から中通病院の外来診療の将来の在り方について独断的な私見を述べた。
 勿論私の考えは数多い可能性のうちの小さな一つに過ぎないし、それほど正しいとも思っていない。民医連加盟院所であること、経営を担当する理事会の独自の考え方もあるだろうし、巨大組織の持つ諸問題もあることなどから、制約も大きく、短時間に方向性が変わるなどとは思っていない。医療構想は作成に数年、実行に数年と言われるほど十分な時間を必要とするものであり、中通病院の将来構想も話題にはなっているがなかなか出てこない。それなりの機関で1日でも早く検討を開始するべきであろう.各部所の責任者が自分の担っている範囲での将来構想を持つことが先決であろう。
 最後に、私は外来診療部長としていささかマンネリ化してしまった。そろそろ辞退したいと考えている。本稿は私の診療部長としての総括でもある。
 なお、参考にした資料は主に以下の4点である。特に・は私に書き出しのきっかけと指針を与えてくれた論文で本稿の中に引用させていただいた部分も多い。文末ではあるが心から感謝したい。
・秋田県における民医連運動の発展のための長期計画1978
・秋田県連長期計画における今日的課題1985
・大曲中通病院昭和60年度医療活動方針
・遠藤幸男 地域医療費システム構築のための私見 日医新3416:95-97、1989
                          (1989、12、10大曲にて)


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